2 2018/3/13 回顧録1

 ここは、どこだっけ。

 …そう、馬喰町。さっきの馬喰町駅の出口の話だ。

 私は馬喰町駅を利用するのが初めてで、ホテルがそこしか取れなかった為仕方なく、長いエスカレーターを上がり、3番出口からようやっと地上に這い出て、ホテルを見つけ、先に見えコンビニで夕飯を買おうと歩いていた。3月13日。母の初命日で、北海道はまだ雪が山になっていて、地元に雪はないがコートは薄手には出来ず、東京はスーツだけでは少し心許ない、そんな日の、21時頃。

 お年寄りの女性が、駅の出入り口に立ち、何かを配ろうとしていた。

 70前後に見えるその女性は、まばらに出てくる人に、誰彼構わず手を差し出している。声をかけているのでもなく、必死そうでもなく、でも諦めるでもなく、まるで切ないと言う感情を発見しかけている自動販売機みたいに、何かを渡そうとしている。

 誰も貰ってくれず、一度は手を引っ込めるのだが、新しい何かを掴むわけでもなく、そのまま、何かを掴んだままの手を次の人に差し出す。

 宗教の勧誘かと思い、私は通り過ぎコンビニに入り、R1とミートソースパスタと麦茶を買って店を出た。

 まぁ、そんなに時間も経っていないのでその女性はまだそこにいて、まだ多分さっきと同じ何かを、差し出している。

 私はホテルに戻らねばならなかったので、再度彼女のそばを通り抜けようとした。彼女は私に気が付き、でもやはり期待していない感じで、少しだけ私にその何かを差し出した。

 それは、白い封筒であった。彼女の強そうではない握力でヨレヨレになった、縦長の白い封筒。厚みから、2ミリくらいの厚みの、何かが入っていると思った。

 思ったが、気にはなったが、やはり私は会釈をして通り過ぎてしまった。

 何が入っていたんだろう、今でも気になっている。

 気になりながら見渡すと、当たり前にそこは東京で、やはり私には似合わない、とふと思う。

 石に囲まれたここは、残酷な空気がする。物語にある都会の感動は、この残酷さありきの悲しみや苦しみ、すれ違いが見させる夢なのではないかと思う。

 残酷、と言って、田舎が残酷でないのではない。自然も十分に残酷である。

 ただ、命があり意思がある残酷さである。無機質な無関心さではない。

 そんなことを思う。

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