妻がスラムダンクのワイド版を全巻揃えてくれたので、本棚でバラバラになっているバカボンドやリアルなど井上雄彦さんの本を一箇所に集めたいなと思っていたのがきっかけで、21時頃から本の整理に手を出してしまったら、手塚治虫も集めなければ、松本大洋は真ん中ら辺に、小説のスペースはどこに? あぁ田島昭宇さんは絵は好きなんだけどMADARAはさておきサイコはサイコだから子供達があまり手に取らないところに、とかなってしまい、気付いたら12時を回り、寝室に上がると皆寝ていた。
次男がまた私たちのベッドで寝ている。妻と揃って掛け布団を蹴り飛ばして寝ているのでブランケットを取り出して掛けてあげる。優しいのである。
あぁ整理整頓は楽しかった。と思いながらシャワーを浴びに降り、ふとキッチンを見たら、長男の弁当がポイと出されている。寝る間際に気が付いてこそっと出して行きやがったのだろう。
仕方なく洗っていると、ジジが酔っ払ってトイレに出て来て、こちらを見て苦笑していた。
赤ら顔で、俺が全くやろうと思わないことをお前はやっているから本当に不思議だ、と言い残し去っていったのだが、私は、そんな父さんを見て来たからだと皮肉は言わない。優しいのである。
シャワーを浴びて再度上がって来ると、階段の上で飼い犬が待ち構えていて、やっと寝るのかよと寝室について来る。寝る時だけは私のところに来る、毛玉まみれの変な犬である。
寝室では先ほど掛けてあげたブランケットが私の優しさごと既に蹴り飛ばされていた。
ソファーでこれを書いていると、隣で飼い犬がパタパタと尻尾を振っている。別に私に振っているわけではない。いい夢を見ているからだろう。こちらも既に爆睡中である。
最近私は自分に言い聞かせている。
飯を食わずお菓子は食うのが許せないが、飼い犬は犬である。人間の礼儀に当てはめてはいけない。許せないが、犬である。犬である。
言っていることがたまに理解できないし、暇なくせに何もしない父であるが、父はご老体である。戦後に生まれ、バブルを経て、インターネットの時代に放り出されてしまったスマホに翻弄されるご老体である。たまにイラッとくるが、ジジはジジである。ジジなのだ。
長男も次男も、妻も、それぞれ違う経験を経て来た自分とは違う個である。
諦めるのだ。いい意味で。
いい意味で諦めるとか、言葉遊びに感じるが、でもまずはそこから始めよう。
犬は犬だし、父は父だ。
コメント