2023/11/7 創造の形

 携帯でエピソードだと思って読んでいたら、最後に小さく、フィクションですと添えられているのを見ると、最近のアイデアの切り売り方法なのだと感じる。

 それらのアイデアを集めて集めて、言葉を紡いで紡いで、添削を繰り返して繰り返して、時間をかけて結晶化させる、それが私の好きな物語と言うものだが、その工程のどれか一つでも手を抜けば、その物語の純度は極端に下がり、もったいないで括られるガラクタ扱いされてしまう。その自分の世界に対して没入出来る精神力とセンスと、努力が必要になる。当然運も必要だろう。

 そこから比べれば、こう言った思い付きをポンと400時位にまとめて、こんなん思いついたけどどう? って表に出してしまった方が、とてつもなく簡単で、それでいてヤフーニュースなどに定期的に出て来てreviewが稼げれば多少儲かり続ける。むしろコストパフォーマンスはとてつもなくいいのかも知れない。努力は言葉選びではなく、トピックとしてより多くの人目に付く方法、クリック、タップしてくれる方法探しに向けられる。

 間違っちゃいない。読む方だって、そういうお手軽さを求めている部分もある。

 私だって、テンプレだけで構成されたような、なろう小説のアニメ化など結構好みである。考えない、真面目に見る必要がない、緊張もしないし、ワクワクドキドキもない。それでいい、安心感を持ってボケっと見ていればいい。

 でもその感覚は、別に新しいものでもないと思う。昔の、今もあるのかな。テレビを見ないので分からないけれど、水戸黄門のようなものだと思う。苦しめられている善人がいて、苦しめる立場が上の悪者がいて、多少お色気が入り、絶対的な力で懲らしめる。

 美しいエルフがいればずんぐりむっくりなドワーフがいるし、美女がいればそのほとんどはあり得ない力を持った主人公の力ではなく人柄を好きになる。

 だから、別にそれらはあっていい。ただ断言できるのは、それらは、何も超えないし、残らない。

 それでいいのだ、そういうものなのだから。そうも思うが、昨日仕事をしながら見ていたゴブリンスレイヤーと言うアニメで、ちょうどいい言葉を言っていたので紹介したい(完全に覚えていないのでそっくりそのままではないが、意味合い的なものとして)。

 子供の頃、英雄になりたかった、伝説になりたかった。でも大人になるにつれ自分にはその役割は与えられていないと気付く。

 今の状況が大したことがないなんて思わない。満足していないのでもない。ただ、ただ…そう思う自分もいる。

 

 そういう事だと思う。ただただ消費されるものも必要で、意味がないなんて思わない。それで生活を支えているのだから間違えてもないし、見下されるものでもない。ただ、ただ…きっと、そう思うのではないかと、思うのだ。

 まぁ、自分の中にもそういう思いがくすぶっているから、そう思うのかも知れないが。

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