個を尊重する事、集団を尊重する事。なんだか永遠のテーマのように感じられてくる。
グルグル回る。グルグルグルグル、回る。
私には共感力がないと言う。妻と話していると、確かに、私には共感力がない気がする。多分、そもそも共感の必要性が今一つ分かっていない。
全く分からないのではないが、共感って共に何かを感じた時に生まれるものであって、何かを共に同じように感じるという事、そこの意味は分かる。ただ、相手の状況や考え方に表面的に共感しているようにする目的が分からない。
思っていなくても共感しているように見えればいいんだよ、それで相手は安心するんだよ。安心させてほしいんだよ、と。
これは、妻からすでに色々なテクニックを伝授してもらったあげく、それが上手く出来なくて、最終的に呆れられながら言われた言葉である。
変なこと言ってるなーと思っても、そうですよね、そう思われますよね、と言えば、なんとなく相手の意見に沿っているように聞こえて、実は自分がそう思っているとは言っていない、とか、理論や現象にフォーカスするのではなく、感情にフォーカスするのだ、とか。
聞いている時は、ふむふむそうなのか、そうすればいいのか、と思うのだが、いざ、それが必要なタイミングで、なんか噓をついている気になってしまい、自然に実行できない。どうにかやってみても、いや、思ってないでしょ、とばれてしまう。
そして、ばれてしまうと、適当に流そうとしている、真面目に聞いていない、となって逆効果になってしまう。と数珠繋ぎで悪化していく。
重要なのは、女性は共感を求めるが男性は共感力が元々低い、個々の違いはあっても基本の考え方に違いがある、なんていう事は、お互い分かっている、という事だ。
分かった上で、解消できていないから、何度もすれ違う原因になる。
お互いにお互いを上手く扱えばいいじゃないか、と言う意見も分かる。でも、本当に個人的な好みとして、妻をうまく扱う、と言う事自体を私はしたくない。
妻は本当に頑張り屋で、色々な大変なことを乗り越えて来て、私なんかについて来てくれて、子供達にもいい母親である。私は妻のようになりたいとは思わないが、妻を尊敬している。
そんな相手に対して、表面上であしらう様な事をしたくない。
でも! 当の妻が求めているんだからしてあげるのが優しさであろうとも思う。子供たちも思春期男子二人、父は昭和のめんどくさいおじいちゃん。家の中で女性は妻だけなのだ。女性の感覚を理解してあげられていない。多くの場合、男性の感覚が多数派になってしまう。だから、パートナーとして出来ることをしたいと思うのだけど、妻の痒いところに全く手が届いていない気がする。
家事などに関しては私もやるから多少理解は出来ても、少しずつ、何かが違うのだ。
例えば、食事後、食器を洗うのも、私は自分で洗うのが苦ではないし、手伝って欲しければ子供たちに手伝えと言う。洗うから拭いて、とか、食洗器にある物片づけて、とか、とりあえずテーブルにある物全部下げて、とか、して欲しい事を明確に伝えて、それ以外求めない。
でも多分妻は、実務的な話は当然あるにしろ、手伝って欲しい、気を遣って欲しい、という事が主で、とにかく気持ちの問題、の気がする。
なんで言われなきゃできないのと、男性諸君は言われることがあるかも知れない。本当によくある話、言われなきゃ分からないよ、する事が嫌なんじゃない、と男は言うだろう。そう、男同士ならそれでいい。何の問題もない。
で女性同士なら察して色々するのだろう。もう社会の作りが違う。
分かってる、分かっていないのかな本当は。
だから問題は、結局女性の気持ちが理解できなくて、女性である妻が、男ばかりの中でそれを理解しながらもストレスを溜めてしまう、という事なんだ。
お互い様でしょ、と言ってしまうのは簡単だが、それって何も解決していない。
シンプルに、私はストレスをあまり感じていなくて、妻が感じているのなら、出来ることは多少こちらがストレスになってもしてあげればいいはずなのだ。
善悪を考え始めてはいけない。
女性はこれを読んでどう思うのだろう。男は面倒くさいと思うのだろうか。
男性も女性は面倒くさいと思うのだろうか。
当たり前だと思う。面倒くさくて当然。これだけ違うのだもの。でも一緒にいたいと思うから、すったもんだしながらどうにかしていくしかない。
これは自己啓発本ではないし、ハウトゥーで答えを提示も出来ない。
ただ、こうやって向き合っている歴史を、記録していくだけだ。諦めずに向き合っている、そう言いたいのかも知れない。
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