妻とまた大きく揉めてしまう。妻は真面目で繊細で努力家で激情型、私は適当で大雑把で面倒くさがりで安定型。なかなかどうしてかみ合わない。
軽く言っているように思えるかもしれないが、実は全然軽くなくて、このままだと家庭崩壊である。
折り合いをつけなくてはならない。
全面降伏、と言う手もあるはずなのだが、全面降伏する為には私が妻のフォローを出来なくてはいけない。察する能力が低く、自分のしたい事しかしていない私にとって、全面降伏したところで、現時点で出来ないものは出来ないのだ。
妻の結果重視の考え方は、とても正論で、とても危ういと思う。
妻はテンションが上がると論理が破綻する事はあるが、言いたいことは一貫している。
結果を出す。努力が大事なのではない。必要なのは結果を出すために必要な分必要なことをすること。足りていなければ無意味。
私は努力も苦手なので、基本的に彼女の言い分に太刀打ちできる武器がない。加えて、彼女にとって大事なことは彼女自身が結果を出すことで、家族が一緒にいられなくなっても仕方がないと考えているのだから、一緒にいることが重要である私としては、立場としてもなかなか物申しにくい。
何度も言うが、彼女にとって家族が大事でないのではない。愛しているし、とても大事なのだが、それ以前に彼女は彼女自身である、という事なのだ。
なんとなく書いてみると私自身納得してしまう。
納得できない部分も、割り切れない部分も当然ある。でも、事実は変わらない。
それで、結果重視は怖いなと思うに繋がる。
結果が出ていればいい。誰にも文句は言われない。言わせない。堂々とした姿である。
でもそれは、結果を出し続けなければ存在意義が崩壊する呪いになってしまわないかと思う。
結果が出ないという事は、結果を出すために必要なことをすべてできなかったからだ。
それは、そうなのだろう。
結果が出ることはいいことだ。
それもそうだ。
そして、結果を出したいという個人的な欲求も、悪い事ではない。悪い事ではないという書き方は悪意があるかな、きっといいことだ。健全なことだ。
運の要素もあるじゃない? と言いたいのではない。
ただ、結果を出すのは欲求を満たす事であって、欲求を満たすのが存在意義ではない、と私は思う。
彼女は言うかも知れない。私が出したい結果によって少なくない人に貢献が出来る。悪い事をしているのじゃない。社会に貢献できなければ存在している価値がない。
存在価値…社会…、難しい課題だ。誰かに必要とされる母親として、妻として、娘として、必要とされることは、存在価値に感じられないか。それらは社会とは呼べないのか。
簡単な言葉でも、言葉は今になっても難しい。
妻と次男に、あなたは言葉でどうにかしようとし過ぎる、と言われることがある。言葉でまとめようとしている、と。
人の持つ力は、火と複雑な言葉と貨幣制度だ。言葉は道具なのだから、うまく使わなければいけない。
丸め込もうとはしていないつもりだし、自分のいいように話しているつもりもないのだが、まだまだ上手くない。
私は、ただ妻が摩耗してしまうのが怖いのだ。彼女自身は、結果が出なかった時でも反省して次に進めるのかも知れない。もっと努力をしている人に、努力が足りないから結果が出ないのだと言われたら、納得できるのだろう。
それも、私が聞いてもそうなのだろうと思う。結果を出している人はそれに見合う事をしている。
ただ、ただ…。思うんだ。その考え方が至上であり、それをみんなが求めあう世界は、息苦しくはないのかと。
でも突き詰めると、また妻と一緒にいられないのではないかと怖くなる。
私はそういう人と仕事がしたい、そういう人と生きていきたい。そう言われたら、何を言っていいか分からなくなる。私の考え方は違うと、そこには共感できないともう妻は分かっているはずだが、揉める度、なら私とは一緒にいない方がいいと、言われてしまうそうで。
ただ、怖くなる。
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