人を助けたいと思う。ただの欲求として。英雄症候群ではなく、まぁお礼くらい言ってくれたら嬉しいけれど、自己顕示欲とかそこまでたいそうな物ではなく、何か、直接助けられたらいいな、と。
なんの仕事でも、人の役に立っている。今している仕事も、医療の世界で大事な仕事だと思う。
例えばそれが自分の子であったとしても、人の人生をコントロールはできない。むしろ息子達もすぐ自立して手から離れるのだから、自分の意思で選択できるようにしなければいけない。そう思う反面、否応なくコントロールしようとしてしまっているのだろうとも思う。
多様性を認める時、多様性を認めないと言うのも多様性の内であると言う分かりやすい、一見子供の口喧嘩のようで、でも、屁理屈とも言えない、そんな感じ。自由を強制されるのも自由ではない。
医者は職業な中で常に稼ぐことのできる代表格で、一般的に上級職と見られがちであり、実際になる事はとても難しく、結果珍しいはずなのだが、進学校に行くと医者の息子はザラにいる。両親共に医者で、祖父も医者。兄は医大に通っている、なんてのもいる。そうなると、珍しくない仕事であり、実はなるのも難しくないのではないかと勘違いもする。
誰も悪気はない、親が自分の仕事に誇りとやりがいを持っていれば勧めたくもなるだろう。自分の子にいいと思うものを勧めるのは当たり前だ。
それで頑張れる子もいる。当たり前の基準を上げる事で、当たり前に伸びる子もいる。戦国時代の15歳はきっと今よりも大人であったろうし、結局人間の理想の成長の仕方は500万年費やしても分かっていない。
時代によって変わるものは適応が正しく、現代で15歳が大人である事が求められていないという事でしかない。むしろ、ゆっくり大人になっていいと言うのがちょっと前までの風潮だった。そして、子供が減ってきたので、また早く大人になってもらわなければいけなくなってきた。日本での成人年齢の引き下げは、世界を基準によく言われるが、結局、超超高齢者が増える中で、賃金も全体として上がらず大人が子供をゆったりと守りきれなくなってきたと言う現実も前提にあるのだろうと思っている。
とは言え、何が悪かった、どうあるべきだったと言う話をする気はない。そうなるのだから適応するのが正しいのだろう、と言う話し。
YouTubeで粋塾という所がドキュメンタリーを撮っていて、いくつか見入ってしまった。引き篭もりの不登校の中学一年生が、連れ出される、と言うと言い方が悪いかも知れないが、説得される時、高校に行くのが夢なんだろう? と言われていた。できるよ、今から友達の作り方を覚えていけば行けるよ、と。親友が欲しいと言うなら、僕がなろう、と。
親友になろう、って意味は正直分からないが、きっとその言葉で救われる子もいるのだろう。ツンと鼻に来たのは、高校に行くのが夢、と言う言葉だ。親もネグレクトなわけではなく、過保護ではあると思うが、責められるような人格では決してない。子供を愛する普通の親だ。子供だって、何かの劇的な要因を持って行き詰まっているわけではない。学校に行かなくても、塾に行けば私立中学に入れるくらいの学力もある。人間関係を築くのが苦手と言っても、動画を見る限り、初対面の人とも受け答えはできるし、見た目も悪くない。むしろモテても良さそうな位である。
それでも、様々な要因で、色々なことが絡まって、結果がこれ程までに広がってしまう。
何が特別悪くはなくても、もう生きているのが辛いと、14歳に言わせてしまう。
私はそう言うのが嫌いだ。悲しみが嫌いだ。
人はみんな結局幸せになれたらいい。
医者ばかりの環境で、医者になるのも、その環境に潰されるのも、3年後に高校に行く事自体が夢と言えてしまう状況も、ひっくるめて、全てこの世界にはあって、それらすべての人が貴賎なく、みんなが幸せになれたらいい。
梅雨が明けた。すこぶる暑い。
我が家の梅雨も明けたかと書いたが、次の日には次男と妻が大揉めしていた。次男の場合拗らせた思春期だからとてもとても面倒臭いが、舌打ちして許すしかないのだろうと思っている。
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