最近、ASDに関する本を読んでいる。と言ってまだ何冊も読んでいないのだが、知識を入れておきたくて、という感じ。
ふと、大学の頃の恋人の事を思い出す。彼女は不意に、本当に何の気なしに、という感じで、自分はアスペルガー症候群なのだろうと言い出したことがある。20年以上前の事なので、まだ今ほど自閉症に関して認知されていなかった頃の事だ。
自分はアスペルガーで、以前から生き辛さはあった。もっと早く知っていればもう少し楽に生きられたと思う。彼女は言っていた。
残念ながら、今本をめくっている位なのだから当時の私にアスペルガー症候群に関しての知識があるはずもなく、それを一緒に考える程深く受け止める事が出来ず、私はふーんと流した。その程度の記憶であるから、20年以上思い出さなかったと言う事も出来るし、それでも何か引っかかっていたから、20年経った今思い出しているとも言えるだろう。
ふーんと流した。あえて流してしまった、と書かないのは、今でもその対応が間違っていた、とあながち思えないからである。正しかった、とはそれ以上に言えないのだが。
私の周りには昔から色々な人がいたので、元々偏見が少ないタイプであると思う。逆に当時は今よりも、ただ目の前のその人を、ただその人として受け止める傾向が強かったかも知れない。責任がないから、それで良かった。無責任に、受け止めて、受け入れて、見送る事が出来た。見送る、とはよく言い過ぎで、見放す、突き放す、事もあったのかもと思う。
自覚がないので、共感力がないというのは昔からなのだろうが、客観的に考えればきっと優しく見えて、その実、ただ情がない、興味がない、という事も多かったのだろうと分析している。
だから彼女が自身をアスペルガーだと呟くように言った時も、ふーんと、ただ、受け止めた。彼女の特性に、アスペルガーと言う名前がついていたんだと、そう思っただけだ。
思えば、確かに、彼女は人の気持ちを理解しない行動をとる事があった。軽い事で言えば私と出会う前、彼女はサークルクラッシャーであった。自身の体に興味を持たず、彼女の部屋には不特定多数の男が出入りしていた。
そのくせ彼女は自身を知られることを嫌がった。部屋にあげてもその部屋には生活臭がない。物を多くすると自身の内側が知られると思っていたらしい。効率も悪いし行動がアンバランスだ。私は馬鹿なことしていたねと笑ったが、そんな彼女が私をその他大勢の一人ではなく求めてくれた理由を私ははき違えていて、彼女の気持ちを察してあげられなくてざっくりと傷つけ続けてしまったのだと思う。
当時私は自身を初心者用の休憩所と定義しており、彼女はきっと疲れたのだ、だから私の元で少し休んで、離れて行けばいいと思っていて、それを言ってしまっていた。
と言って、彼女の事をなおざりに考えていたのではないと、言いたいのだが、それも今となってはどうだろう、自信がない。何より私はきっと彼女を好きではなくて、ただ彼女を助けたかっただけなのだ。思いに応えられないと分かっても良いはずなのに、私は、彼女を愛せると、思いこもうとして、失敗した。そして計画通りに自然に手放す事すらできなかった。
彼女は自傷癖があり、それは別れた後も私に少なからず影響を残したが、彼女自身の生き辛さを、彼女が唯一自由にできる体でもって紛らわしていたのだろうと思う。
話がまたずれた。アスペルガーの話しをしていたのだ。今回思い出した象徴的な話。
彼女は優しかったが、よく優しくする方法を間違えた。ある時、彼女の特に親しい女友達がストーカーの被害に遭っていた。今となってはどこまで深刻な話であったのか分からないが、とにかくその友達は引っ越しをしたいがお金がない、という事を言ったらしい。
その子の事もよく知っているので誤解のないように言っておくと、本当にその事を話したことに他意はないと思う。間違ってもお金を貸してほしいという意味で言ったのではない。証拠に、彼女(話しを聞いた私の彼女)がその子に相談せずに短期間突然風俗で働いてお金を作り押し付けた時、その子はひどく動揺し、関係性が決定的に歪になった。
当たり前である。いくら悩んでいたからと言って、友人に体を売ってお金を作って欲しいなど、考え着く人を私は知らない。それをされてよしとする人もまた友人にはいない。
でも彼女は、それをした。悪びれもせず、彼女の為にその選択肢を選んでしまった。
それを聞いた時、私はよくよく彼女にそれは違うと言ったが、彼女はそれがなぜダメなのか結局理解できないようだった。でもあの子は受け取った。後で知って、知らなかったはズルいと、彼女は主張した。
お金を返しても、既に彼女が風俗で働いてお金を作ったと言う過去はもう変わらない。その事実に対して周りが悲しくなったり、寂しくなったりすることが、彼女には理解できなかったのだろう。
そもそも恋人になった私に、その話をつらつら話すのだ。
風俗に対してどうと言う気はない、別に本人が望んでしているのであれば、リスクを考えた上で選択する分には構わないと思う。実際彼女に対してもだからどうこうとは思わない。私は処女性みたいなものに信頼を感じない。未選択の状況は見通しがないとさえ思う。
散々見た上に、知った上に選び取った物にこそ、価値を感じる。
ただ、彼女の選択はそれとは違う。ただ、自身を軽はずみに道具として扱っただけだ。
一括りに色々な病名で語ったりするが、私にとってのアスペルガーはそんな悲しみに繋がる可能性のある事だ、と認識している。
特性の一つに過ぎないが、特性であるからこそ、本人が、周りが、知って、扱っていかねばこのような事も起きる。
勘違いして欲しくないのは、アスペルガー症候群の人達すべてが彼女のように自分を大事に出来ないのではない。アスペルガー症候群の特性の一つである、人の気持ちを想像するのが難しい事が、彼女の色々なものと混ざりその様になったという事だ。
名立たる成功者も同じだ、と言うような前向きな話もよく聞くし、それに勇気をもらって特性と付き合っていくのは素晴らしいと思う。
でも、とやはり思ってしまう。成功しているかを基準に考えるというのはずれている。成功は、幸福を測る多くの基準の一つでしかない。お金は大事。とてもとても大事な道具。でも道具以上ではない。
濃い特性を持っているという事は、何かに特化したような癖の強い道具を持っているという事だと私は考える。使い方を知らなければ、なかなかどこにも繋がらない。
幸福になり易いか、なり難いか、で言えば、言葉にしてしまうときついが、難しい、とあえて言う。
だからこそ、早く、出来るだけ早く、使い方を知って欲しいし、知るきっかけを作りたい。私だけでなく、社会に、特性を生かす事を前提としたものになって欲しい。
これは、弱者に優しい世界に、と言うのとは違う。対等な話だ。彼らは弱者ではない。少なくとも彼女は弱者ではなかった。
分かって欲しい。私は、責任を持つようになって、偏見が増えたと思う。守るものが出来て、怖がりになったと思う。求めることが多くなったと思う。
求める。それぞれが認め合い、引き出し合い、幸せを考え、求められる社会を。
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