妻は強い。生きることに迷いがない、と言えば失礼なのだろう。彼女は十分に大変な時期を乗り越えてきた。その結果を安易に生まれ持ったかのように語るのは間違っている。
だから、これは違いについて語る以上の話しではない。強い彼女が理解できるものと、出来ないものの話だ。
私は多分、死と言うものを小さな頃から考えてきた。たまたまそんな状況になっただけではあるが、死は無慈悲であったし、身近なものであった。小難しく語る事ではないが、私の人生観に関わる事なので記しておこうと思う。
小学校3年の頃に足の骨の病気になり何か月か入院した。穴が見えるほど太い針の注射を脛の骨に刺さなければいけないような病気だったのでそれなりに大変だったのだが、別に死ぬようなものではない。最悪、左右の足の長さが変わってしまう、そんなものだ。
本来整形の病棟に入院するはずだったのだが、先生の意向か母の意向か分からないが大人ばかりの病棟は辛かろうという事で、小児病棟に入院する事になった。
後になって妻と話していて思ったのだが、結構この判断が分岐点であったと思う。
周りは確かに年の近い子供達で、出来た友人とシリコンの風船を膨らましたり、プラモデルを作ったりと実は中々楽しんでいたのだが、1週間、2週間、1カ月と経つうちに、そこでの世界が形成されてくる。面子が変わらない。それが意味するのは長期入院であり、子供が長期入院する理由は、つまり、そういうことだ。私は前述した通りの骨の病気だったので2か月か3カ月で、どうにか手術もあと一歩のところで免れ退院したのだが、私は、私以外にあの部屋から退院した子を知らない。
子供の記憶なので、実はいたのかも知れないが、私は覚えていない。ただ、仲の良かった3人は揃って今この世界には存在していない事は事実だ。
8歳の私にとって中学2年生の男の子はとても大きく、大人のようだった。彼は体格も良かった。少し知的障害がある事は、小さいながらにも私にも分かっていて、あまり会話は出来ないので話すことは少なったが気の優しい人で、船やロボットの細かいプラモデルをいくつも完成させていて、私はそれを見るのが好きだった。
お母さんも体格のいい方で、元気で良く笑っていた。彼は窓際のベッドで、白い光の中で、大きな背中をこちらに向けていつも丁寧にプラモデルを作っていた。
ある日、そのベッドから彼はいなくなっていて、少しして、元気のよかったお母さんが仲良くしてくれてありがとうございましたと母に言って去っていった。
今思うと、母は私から出来るだけそれらの事実を引き離そうとしていた。私はすぐそこのベッドにいて彼と付き合いがあったのは私なのに、彼のお母さんは私に直接お礼を言っていないし、その後も母は彼の事を説明してくれなかった。
同年代の友人もいた。車椅子で一緒に走り回り点滴の針が外れ血が飛び散って看護師さんに一緒に怒られて、シリコンのバルーンをどちらが大きく作れるか競争して、毎日遊んでいた。
彼は私の退院が決まると、私に意地悪をするようになったと母に聞いたが、そんな記憶はない。羨ましかったんだろうと、母は言っていた。
退院してお見舞いに行くと彼は集中治療室にいて会えず、ある日居間でテレビを見ていたら、大事ではないように母が、もうお見舞いには行けないと私に伝えた。
気を遣わせたのだと、今思う。
私よりも小さい子がいた。5~6歳の男の子。彼はその小さな体にいくつも病気を抱えているのだと親同士の会話から読み取れた。出会った頃にはニット帽を被っていたから、抗がん剤治療もしていたのだろう。
彼はよく笑った。優しい子だった。子供特有のくしゃっと言う無邪気な笑いをする子で、お祭りなどで売っている輪っかがらせん状になっている階段を下りていくおもちゃを好んでいた。お母さんもよく笑う優しい方だった。
彼とは退院後1回か2回、会う事が出来たが、ある時、ベッドが空だった。
私は死を理解していなくて、正直言うとこの事で悲しみに暮れたという事ではない。いずれも漠然と、もう会えないという不透明な寂しさを自分の中に感じた。
しかし同時に、彼らのお母さんの事を思い出すと、彼らの笑顔を思い出すと、強烈な怒りが沸き起こる事にも気が付いた。悲しさを怒りに転換する防衛本能だったのかもしれない。世界の理不尽さが憎く、耐えがたく、納得できなった。
なぜ、なぜとずっと考えていた。ずっと考え続けて中学生になった頃、答えが出ない事に気が付いた。
宗教の存在を思ったのはこの時だったと思う。答えが出ない事を消化する為に宗教がある。その事に気が付いた。
だが、怒りを感じた事が発端であった為、消化する事さえ拒んだ。問い続けて、答えが出なくても忘れずに問い続けて、いつか死んだ時神様に出会ったら直接聞いてやろう。そう心に決めた。
世界は理不尽であると理解した。
中学の頃、剣道部に色白の美男子がいた。頭もよく、後に高校も県で1番の所に入った。まじめな印象だった。自身の意見をはっきり持っていて、話していて気持ちのいい人で、結構仲が良かったと思う。
同窓会であった時、高校生活を大分はっちゃけた形で楽しんでいるようには見えていた。あれ? とは思ったが高校マジックだとその時は感じていた。
同じような形の友人がもう一人いる。彼はちょっと丸っこい体形をしていたが、性格も同じように丸っこくて別に何に悩んでいる風でもなかった。
高校に入ると、とても絵の上手い先輩がいた。私とは馬が合わずに衝突したこともあるが、絵に対する真摯な態度は、かっこいいと思ったし、そもそも絵自体に感動していた。一学年下の私のクラスでも彼を尊敬するあまり画風が似てしまっているのがいたくらいだ。うちのクラスにいた学年の人気を二分する女の子のうち一人を射止めて付き合っていて、彼と馬が合わない私はつまりその子にも不評であった。彼は東京芸大に1浪して入学した。
三人とも、自分で命を絶った。
入院していた時とは違う、空虚感が自分の中に積もっていくのを感じた。彼らはいじめられていたわけでもなさそうで、家庭内に問題があるという話しも聞かなかった。
実際の所は分からない。劇的な何かがあったのかも知れないし、何かの犯罪に巻き込まれてその事実をもみ消されたのかも知れない。
そう考えたいが、多分、そうではない事も感じてしまう。
人は、自分だけの理由で、意外と死んでしまう。
死は身近なものだ。誰にでも十分にあり得る。
高校の頃、祖父が他界した。私にとても良くしてくれた人で、元教師、校長先生まで務めた人だ。通っていた幼稚園の隣が祖父の家で、毎日のように遊んでもらっていた。相撲でも負けてくれたし、話し相手にもなってくれた。
白い布が顔にかけられ親族が押し黙る中、祖母が淡々と片づけを始めたのに驚いた。
彼女は早かった。後から聞けば祖母は後妻で父の兄弟姉妹誰とも血が繋がっておらず、仲も良くなかったらしい。祖父も私の知っている優しく孫に甘い顔だけでなく色々な表情を持っており、うまい関係性を築けていなかった事もなんとなくわかった。
人には色々な面があるのだと知った。
大学の頃、当時の彼女のお兄さんが特殊ながんになった。若かったため進行が早く、難しい状況であった。出来ることはないか彼女とがんについて調べ、健康食品などに手を出し、手術前には神社にお参りに行った。
手術は成功し、嬉し泣きをした覚えがある、お礼にまた神社に行きめちゃくちゃ手を叩いた。
半年後、私は彼女とは別れていたのだが、お兄さんのがんが再発したと聞いた時、私は悲し過ぎて二十歳の男がわんわん泣いた。人生で1番泣いた。
会ったことのない、別れた彼女のお兄さんの事なのに、わんわん泣いてどうしてどうしてとずっと言い続けて泣いて、手から力が抜けなくて拳が痙攣して、横になっていたのだが足もバタバタして色々なものを蹴飛ばしていて、何時間か経って泣き止んだ時、目が痛くて、泣き過ぎると目が痛くなることを知った。
押し込んでいた、なぜ、が、溜まって溜まって爆発してしまったのだろう。
分かっていたはずの世界の理不尽さに、納得などできていなかったと、思い知った。
大学を卒業してしばらく経った夏のある日、午前4時頃に電話が鳴った。何年かぶりに話す彼女は、小声で一人っ子になったと儚げに笑って言った。あの時はありがとうね、と。
明るくなる前の青い時間で、ヒグラシが鳴いていた。
美しい時間、美しい音。何かは分からないが、彼女は何かを乗り越えたのだと思った。
私が目を背けてしまっている何かを。
働き始めて偶然中学の頃の友人に出会った。彼は医者の息子で父を尊敬し、後を継ぐために必死で勉強してきたのだが医学部に合格できず、歯学部に通っていた。姓が変わっている事に気が付いて婿にでも入ったのかと思ったら、医学部に入学できなかった際、家の恥だからと祖母の養子に出されたとの事。驚きだった。
当時私はすでに働いていたが、私の給料を聞いて働いていない彼が嫌味なく、それしかもらえないのかと驚いていたのを見ると、十分なお金を家からはもらっているのだろうと思ったが、名前まで変えさせられたのに彼はまだ父を尊敬しているという。
その言葉が示す通り彼はその後、勉強しなおして医大に入った。すると今度は医学部で自分の息子の名前が違うのはおかしいという事で、また家に戻されたらしい。
世間体がそんなに大事なのか? 子供の人生以上に? 憤りを覚える私に彼は、でも入れてよかったと笑っていた。笑っているのに、彼がどこか歪になっている事は明白だった。笑い方がおかしい。話し方も、動きもどこか違和感がある。
少しして、彼は失踪した。人の過程にどうこう言える立場ではないが、その事も私は悲しかったし。歪だと思った。
医者の家庭は独自の世界がある。周りに医者の子供が多かったからそう感じるのかも知れない。彼の話を聞いて、そりゃそうだよ、あいつが弱かっただけだよと納得できる人もいるかも知れない。
私はそう思わない。彼を壊したのは彼の環境である。自身の問題がないわけはない、友人関係も色々あったと聞いている。私は彼の父がどれほど偉大な人であるか知らない。
でも、私は勝手に思っている。
彼をそこまで追い詰めたのは彼の父の性格が大きいし、そのような人を私は吐き気がするほど嫌いだ。
私は、多分、弱い。妻と子供を持って、猶更、死が怖い。妻を子供たちを失う事が怖い。当然、幸せになって欲しいと思う。でも多分、それ以上に、壊してしまうのが、失うのがただ怖い。
妻は、多少無理をさせても死にはしない、と言う。
でも私は、それを信じ切れていない。
人は何かのタイミングが合うと簡単に壊れてしまうし、死んでしまう。挫折を知らない人は特にそうだろう。年齢が上がると自己修復できない事も増える。
人それぞれキャパが違う。良し悪しではなく、ただ違う。誰も自分を基準に考えてはいけない。その人を見て、その人の話を聞いて、判断しなければいけない。
でも私は人の強さを信じれていない上、人に共感するのが苦手だからちゃんと判断できていないとも思う。
妻は小さい頃苦労してきたから、その点に関しての強さがある。そして人にもその強さがあると信じている。強さを信じているから、自身の思う正しさを求めることに躊躇いがないように感じる。これは妻の培ってきた強みであるし、成功の鍵でもある
コメント