2023/11/15 長時間労働って何がいけないんだろう

 朝、ホテルで宝塚のいじめ、長時間労働問題のニュースを見た。ジャニーズにしろ宝塚にしろ、大きい所ももうこういうことになるんだなと思いながら見ていた。

 昔、トヨタでも同じようなことがあったし、電通だってそうだ。大企業の闇、とみる人もいるだろうし、大企業だからメディアに取り上げられているだけ、と考える人もいるだろう。私はどちらかと言うと後者である。

 ただ、妻のようなパワフルな人と一緒にいると、いじめはだめ、長時間労働はダメ、命が一番大事、と言う言葉は、それで終わるようなものではないと思うようになる。

 本人が望んでいるレベルが、そこで生きていく為のレベルに見合っているという事が前提にはあるが、そこに達するまでの時間は自分で設定できない。

 今回の芸能の話しや、スポーツだってそうだろう。と言うより、仕事全般がそうだ。仕事だけでなく社会全体の基本構造とも言えるかもしれない。

 まぁ難しくいったって当たり前の事なんだけれど、言語化するって自分の考えを整理するにも大事な事。

 その前提の中で、ではどうやってレベルを上げるのかと言えば、才能×環境×時間だと思う。×運を入れるかどうかだが、どちらかと言うと才能や環境、時間と言った要素に関連するバフが運なのかもしれないと思う。縁とか、親とか、生まれ落ちた土地とか、出会いとか。

 才能や環境に恵まれた人はいる。彼らは人よりも早く大きな結果に辿り着ける。彼らの人格を批判するものではなく、彼らが努力していないというのではなく、むしろ彼らが自分の才能や環境に奢ることなく日々精進するからこそ、彼らと同じステージに上がろうと思うとより時間をかけるしかない。

 1日3時間睡眠だろうが、過労で倒れる寸前だろうが、本人が望む事がそこにあるのなら、才能の小さい、環境の整っていない人は選択肢がそれ以外にない。

 そもそも才能と環境が整った人が目指すべきもので、それがない人が目指すから残酷な結果になる。それは、残酷な事実だろう。

 だから、自身を理解した上で目指すのであれば、それは自己責任、とも思う。

 でも、でも…。人はそれぞれ何かしら才能を持っている、と言う前提だが、社会全体がそうであれば、結局適性がある事にしかチャレンジしない方がいい、という事になってしまう。見合わない世界を夢見るな焦がれるな。

 それが、いい世界の姿なんだろうか。

 視点を変える。今回の宝塚に関して言えば、観客が求めている、と言う側面がある。世界感含め観客が満足できるものでなければいけない。私は女性縛りのその世界の価値が分からないし、伝統がどうとか考えられないタイプだが、そういう世界もあるのだろう。そこに先程の考え方を当てはめると、レベル、クオリティーを求められる時間制限のある世界で生きて行こうと思ったら、はじき出される人が出ても当然、と言う考え方。

 実際、同じ経験を経ても成功して、自分にとってはいい経験だったと、心から思っている人もいるのだろう。そう思っている人にとっては、自分をギリギリまで磨き上げてくれた最高の環境だったという事になるのではないか。

 むしろ、個人で何かしていれば、結果で責められることは少ない。成果を出せなければ、淡々と静かに淘汰されていくだけだ。

 誰かに、もっとやれ! バカヤロー! 立て! と叱咤される環境は、自身の成長を助けてもらっている優しい世界、とさえ言えるのだと思う。

 だから環境が一概に悪い、と断罪する事も出来ない気がする。そのクオリティを出す為にはいい事、なのだという側面の話し。だから、弾き飛ばされる人を問題にするのであれば、そもそも求める方が、求めるクオリティを下げなければいけない。

 でも、才能と環境がある人にとっては、より高みに届くチャンスを減らしてしまう事であるし、世界にとってよりいいものが出て来る可能性をつぶすという事になる。

 私は、別に世界がよりクオリティの高いもの、より利便性の高いものを求めなくてもいいと思っているが、資本主義の中で、そう言ったものを生み出し続けなければ、存在価値を認められないのも事実だ。

 長時間労働をやめ、練習を甘くし、クオリティが下がった舞台を、今の宝塚歌劇団のファンは認めるだろうか。

 仕方がないよね、とはなっても、ではお金を投資し続け、それに見合った満足感を得続けられるかは別の話しだ。

 環境を改善したら仕事がなくなった。なんかこれもよくある話な気がする。

 よりいいものを生み出し続けないと生きていけない環境は、シンプルな弱肉強食の世界だ。その中で、弱く生きていけなかった人を哀れみ、改善を求めるのは、都合がいい話、とも思える。

 私が劇団側であれば、じゃあ、改善するから、今後宝塚っぽい事求めて来るなよ、それでいて、劇場に通い続けろよ、芸能界も今まで見たいに贔屓にしてくれよ。

 と思う。

 とは言え、共産主義がいいのかと言えば、それが資本主義との戦いの中で負けてきたのも事実なので、難しい点だが。

 誰もが、許容できる無理の範囲内で楽しんでレベルアップできる環境、が最高。楽しめなければできない事もある。

 分かる。それが私も好きだし、そうありたい。でも、現状では理想論だろう。その結果は最初に書いたように才能や環境によって左右され、結局分不相応な夢は見られない世界にしか当てはまらない理論だ。

 

 こちらも、求めることに責任があると自覚する事と、求められる方も精神的にだけでも追い詰めずにする事は出来ないか、と言うのがなんとなく私の思う妥協点だ。

 私は珈琲が好きだが、美味しい珈琲豆を取るのに過酷な環境で子供が働いているという事実がある。体の大きい大人では取れないから、危ない環境で子供が働き、でもその農家にお金はほとんど還元されない。

 その中でスペシャリティ珈琲と言う、中抜きをなしにして、農家に利益を直接届くようにする動きがあり、賛成だが、スペシャリティ珈琲は高く、そんなに手軽に買える金額ではない。これときっと同じことだと思う。

 私が今朝飲んだ珈琲も、それなりに美味しいもので、それには犠牲となっている人たちがいるかもしれないという事実を、理解していなければいけない。

 そして、今したいことに精一杯になる事は素晴らしいが、常に道はそれだけではない、と分かっておくこと。この位は、地盤になって欲しい考え方だ。

 私にはこれしかないんだ。…そんなことはない。あなたが、それを選び続けているだけだ。そう、理解できる環境にしてあげる事だ。

 それ以前に、私のように頑張りたくない星人ではなく、妻のような頑張りたい星の方をもっと生み出せる社会が、まず健全なのかもなぁ、とも思う。

 あれ、真面目に語ってきたのに自分が現代社会の怠惰面に思えてくるのがなんか…

 なんか、勢いよく語ってきたのに、落ちないけれど、そんなものだよね。

 でも私の考えはある程度整理されたから、良しとしよう。

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