2023/12/25 クリスマスの絵と大人について

 毎年クリスマスに一枚絵を描いている。どうにか今年も25日に完成させた。今年はリビングを変えたので、それに合う絵を妻から依頼され、25㎝の正方形でモノトーンの物にした。

 毎年の絵も結婚する前からだから、もう20枚近くになる。大きさも色合いもばらばらだから、たまに引き出して飾る絵を変えていたりするのだが、ふと現在の日本で、家に飾る絵を買う人はどのくらいいるのだろうかと思う。

 うちは自前で気軽に出来るけれど、普通はポスターとか、タペストリーとか、その位なものじゃないだろうか。気に入った絵を買おうと思ったら複製でもある程度の金額はするし、その絵をずっと気に入って、という事もあまりないだろう。

 贅沢な遊びだな、と思う。学生時代は絵をかいていた、と言うのは仕事の上では物珍しいネタ話でしかないのだが、意外と役に立つものである。

 積み重なっていくものを感じると、大人になったな、と思う。大人かどうかを論じるにはなかなかな歳なのであるが、子供と大人論争は、いつまで経っても消えない話題の一つではないだろうか。

 同時に、主役は若者である、という主張に出会った時に、自分がどちらなのか、と迷うタイミングにもなる。若い、と言うには44歳は恥ずかしい、が、働き盛り、という点ではまだ範疇である。未来を創る世代、と言うとこれまた難しい。確実に作っている世代だが、先も見えてきており、未来を語るには出来ることは限られている。

 それに、何のために未来を求めるのか、と考えた時、自分たちの為、ではなくなってきているというのも大きい。

 息子たちが生きる時代を、多少なりとも良くしておきたい、という思いがある。すでに次の世代、息子たちの世代が次と言っていいか分からないが、先を見てすでに渡していく事を前提として生きている。

 でも、前提として、現在、若い人よりも稼いで、経済を回している。

 まぁどっちつかずの世代だよね、でまとめればいい話なのかもしれないが、そう考えると、そのどっちつかず世代は板挟み世代でもある。

 一世代で感覚は大きく変わる。現に父の感覚が私にはさっぱり分からない事もあるし、子供たちの感覚に戸惑う事もある。正義を語るわけではなく、常識を語らせると、そのすれ違いは顕著である。

 だから、あまり多くを子供たちに求めないように、と思う。芯となる事、普遍性の高い事、そういう事だけを伝えていけたらいい。

 きっと、こんな事を、多くの人が考えているのだろうな、とか思うのが、最近の私の流行りである。

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