1日エクセルと格闘していて思う。出来た表を見て、関数の奥深さの自分の考え方の癖に苦笑し、そして、そんな面倒な作業が嫌いではない自分にも気づかされる。
私のエクセル人生は、15年以上前に店の店長をしていた頃、本部の提出資料の内容がやたら重複しており面倒になった時にコンビニで見つけた薄いエクセル活用本から始まる。
大体の事は、それで事足りたし、その誰に習わなくても本を見て理解できる程度の事で、仕事の効率は大きく変わった。実際の計算量だけではなく、先述したような考え方自体を一度外に出すことで客観的に理解が出来るようになった事は大きかった。
一度外に出す、と言うのを、アウトプットする事で、と言いたくない自分がいる。何だろう、外資にいる為色々と英語表記はやたら多いし、読めもしないメールが来るし、英語が更に略語になってもう暗号文にしか見えない会議資料とかあるのだけれど、分かり難いと単純に思う。分かる人に分かればよい、と言うのが前提なので仕方がないのだが、優しくはない。
分かりやすく丁寧に、に気付かう余裕があるなら、もっと先に進む事に能力を全振りだ!と言われている気がする。まぁ間違いではないだろう。だが、断る! と心で呟く。
昔の上司が言っていた。難しい事を難しく説明するのは能力が低い証拠だ。誰でも分かるように言葉を簡単にできる方がずっとすごい事だ。
その通り! と思っているが、その上司は社内の勢力争いに負け会社を追い出されてしまったので、実際社会の中で何が正しいのかは分からない。
話し戻って、本を読めば出来る事、に関してはもう一つ思う事がある。
今、日本にはクックパットという素晴らしいサイトが存在する。基本無料で、どんな料理の作り方も、バリエーションも豊富に説明されている。クックパットに限らず様々なレシピが公開されている。それ以前に、包丁の持ち方から魚のさばき方、お米の炊き方までなんだって説明されているし、なんだったら動画もある。(私は先日小屋の作り方をユーチューブで調べていた。やってみたいと割と本気で思っている。)
…お料理教室って、なんでいるのだろう?
パソコン教室もそう、なんで習う必要があるのかな?
専門性のある本気の料理やプログラミングなら分かる、それはスポーツもそうだし、妻のしている華道や茶道のように師について初めて触れられる世界もある。
でも、さ。基本的なお料理教室ってさ、いる? なんかの出会いの場なのかな? ぼちぼち高いし。そこに通っているからって別に誰も評価はしないと思うのだけれど…。
と、私にはその存在価値が分からないのだけれど、逆に言えば、私には分からない価値があるから存在しているとも言える。
自分の分からないものにも価値があり、その価値が集まって社会は出来ている、その当たり前の事をふと不思議に思う。
もっと多くの価値のあり方を知っていれば、価値のあるものを生み出すことができ、それを仕事にも出来るのかも知れない。
そんな事を想う。
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