まだ誕生日週間だと言ってくれるので、土曜の今日は寝坊して12時に起きた。起きて昨日のクリームコロッケでご飯を食べ、チーズケーキを食べる。珈琲には昨日使うために買ってきたアカシア蜂蜜を垂らした。たまにはこういう珈琲もいい…が、昨日今日、もうダイエットとかぶっとんでいる。まぁいい。まぁ、いいだろう。
少し長男の理科の勉強に付き合い、夕飯用にこれも昨日買ったマグロの切り落としを漬けにしてから庭仕事に出る。
鉄火丼でもいいのではと思ったのだが、子供たちが漬け丼がいいと言う。うちの漬けは醤油、みりん、酒にごま油といりごまを混ぜる。ボールに適当に突っ込んで適当に揉み、ラップで表面を覆い冷蔵庫に突っ込む。
子供たちは、漬け丼がいいというよりも、手が掛かった料理の方がいい、と言う事のような気がして恐ろしくなる。
こいつらは、とにかく手料理が好きだ。どこかに食べに行くよりも、手の込んだ料理を所望される。次男に至っては、作ってもらった方が無駄な添加物、防腐剤とか入っていなくて安心、とまで言いやがる。作った物を美味しく食べてくれるのは嬉しいが、とにかく面倒に育ってしまった。私がいない時もそれを求められるのだから、妻に申し訳なく思う。
庭仕事は相変わらず遅々として進まない。ゆっくりやっているうちに草を刈って地面が見えていた場所に木蓮の落ち葉が降りしきり又土を隠している。
と言って、別に焦らない。3時間ほど土を掘り、訳の分からない球根に驚き、石を分け、バケツに余った土を入れて十回ほど運ぶ。軍手がどんどんダメになっていく。よくホームセンタで束になって売っているのを見かけるが、以前はこんなに要らないでしょうと思っていた。最近、軍手は消耗品だと実感する。
体力的に限界、と言うのではなく適当に切り上げる。私にとって趣味とはこういうものでいいと思う。ただ続けていき、来年の春を想い、10年後の夏を想う。
戻ってきたら次男が待ち伏せていて、社会の記述問題に付き合う。次男は最近本を読むようになって、書く文章も変わってきた。ふとこの前何を用んでいるのかと聞いてみたら、ドグラマグラを読んでいるというので驚いた。うちには結構な数の本があるが、その95%がそれよりも読みやすいと思う。なぜあの中から夢野久作を選んだのだろう。読めるの? 問うてみると、次男も苦笑していたので、興味本位で手を出してみたのだろう。という事で、せっかくならといくつかお勧めしてみようと本棚が並んだ部屋に行ったのだが、中学校2年生に勧める本って何だろうと思う。
思春期に入り、その頃ってちょっとあれな世界観でも抵抗なく入れたりする。次男は少し古め、難しめのが好みらしい。ちょっと背伸びをしたくらいで、そう言うのって何だろう。
悩んだ挙句、春琴抄、限りなく透明に近いブルー、初期の村上春樹などをお勧めしてみる。本当はもっと私が次男の都市の頃読んでいた本を色々お勧めしたい。
よしもとばななのアムリタやキッチン。シェークスピアの空騒ぎとか、心がほっと温まるスノーグースとか雪のひとひら、ヘミングウェイの南回帰線で没頭もして欲しいし、老人と海で力強さも感じて欲しい。
若い頃って、こういう神経衰弱をし続けているような、交響曲を聞いているような集中力を消費する事を、構えず抵抗なくすることが出来る。
でも、なんとなく、好きそうなチョイスをしてみる。危ない感性や内容もちょっと入っている物の方が、彼は好きそうだとあたりを付けている。
そんなことを考えるのが楽しい。
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