雪も積もり、12月にもなり、冬になったな。としみじみ思う。
会社のメンバーで会議をし、その続きで忘年会らしきものと、忘年会らしきものをするための口実としてボランティア活動をする。
課のメンバーが探してきてくれたものだが、会議室にボランティア団体の方がいらっしゃって、1枚のフェルト生地から結びや三つ編みを駆使してポーチらしきものを作り、高齢者の方に配るらしい。28歳から44歳までの男がカラフルなフェルト生地に向き合って初めての三つ編みと格闘しながら1時間半。なんやかんやで、これで、いいんだよね? と言うものが出来上がり、メッセージカードと共にラッピングする。お礼を出せるようにと送付先を貼り付けた葉書も同封する。お礼を要求するのかよ、と苦笑しそうになったが、それも意味があり、ポストに葉書を出す為に外出する事に意味があるとの事。外に出るきっかけがなければ高齢者の方は外に出ないのでと。私が浅はかでした…。
因みにこのボランティア団体は会報誌を出しており、配って頂いたのだが、タイトルが「ぼらせん」だった。鰡専門店みたいだなと思ったことは、別に失礼ではないですよね。
手伝って頂いた団体の方の話しでは多分100円均一にあるであろうフェルト生地1枚と裁断する鋏以外何も使わないで出来るこのバッグ。結構喜んでいただけるのだとか。
帰りに、妻の要望でシャネルに寄る。妻曰く、シャネルが売れているせいか欲しい財布がなかなか手に入らなくなっているのだとか。クリスマスと誕生日を合わせてそれが欲しい、と言うのでそうですかとお店に行ったのだが、たまたま一つあって、それを買う。
家に帰ると妻は玄関で待ち構えていて、大喜びであった。そこまで喜んでくれるのであれば、買った甲斐もあったというものだ。たまたまクリスマスラッピングになったという事でそれも何か違うらしい。ブランド物に興味がない私からすると不思議ではあるが、珍しくキャーキャー言っているのを見ると微笑ましく感じる。
CCロゴの色がどうとか、大きさがどうとか、最近転売でも高いくせに偽物もあるとか、クリスマスだとなんだかがどうなるとか、全部クリアできて手に入るなんて奇跡だとか。色々楽しそうに語っていた。
フェルト生地1枚からのシャネルの財布。金額だけ見ればえらい違いである。が、両方ともそこには笑顔が生まれる。フェルト生地が安上がりでいいとか、そういう話しではない。ただ、その違いが面白く、不思議であった。
我が家は特に裕福な訳ではないが、多少無理をすればハイブランドも買えるようになったのだなと思う。決して気軽に買える金額ではないが、何か大きなものを犠牲にしなければいけないのでもない。
妻と、自由について話す。吉牛に行って400円の牛丼を食べて満足した後にスタバの800円の季節限定フラッペを飲んで満足する。金額がどうのではなくて、好きなものを好きに選べる。きっとそれが自由なのかもねと。安いものしか選べないのも、高いものを選びがちになるのも自由ではない。
妻が嬉しそうに子供たちに財布を自慢している声が聞こえる。
かわいいものだ。
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